所得税は、納税者が自ら税務署へ所得等の申告を行い、税額が確定して自らが納税します。これを「申告納税制度」と言います。対して行政機関の処分により税額を確定する方法を賦課課税制度と言います。地方税ではこの方法が一般的です。
実は国税でも、戦前は賦課課税制度が採用されていました。どんな方法だったのか、所得税の歴史と併せて見てみましょう。
所得税の創設は明治20年(1887年)。創設当初は国税の収入の1%~2%程度にすぎませんでした。ちなみに令和2年度の税の内訳を見てみると、国税の収入の約30%が所得税です。当時の所得税は年間所得金額300円以上の人のみを対象としており、納税者の0.3%しかいなかったため「名誉税」と呼ばれることもあったようです。
個人所得にのみ課税されていた所得税ですが、民間企業の増加に伴い、明治32年(1899年)に所得税の大改正が行われ、法人所得にも課税されることになりました。また、所得税の事務を管轄する税務署(税務管理局)は明治29年に誕生しています。
明治20年から昭和22年までの個人所得税は、納税者が所得高を申告すると、税務署が標準率をもとに一律に推計した数値を基本として所得金額を算出し、その後「所得調査委員会」が地域や納税者の実情に応じて勘案、所得金額を決定するというプロセスでした。この方式は課税の公平感が少なく、委員会が納税者ごとの斟酌交渉の場となることもあり、批判もあったようです。
また、大正時代には会社企業の発達がめざましく、勤労所得者が増加したため勤労所得控除が採用されました。現在も名前が残っている扶養控除、生命保険料控除等も大正時代に導入されたものです。
戦後の昭和22年(1947年)、所得税及び法人税に申告納税制度が導入されました。当初の確定申告期限は1月末日、昭和26年の改正で2月末日に延長され、昭和27年分から、現在と同じ3月15日となりました。